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2024年7月19日 (金)

奥尻島に行ってきた

本業とは異なる仕事で奥尻島に行ってきました。渡島半島の西部に位置する奥尻島と函館の繋がりはは深く、私の知人にも奥尻島の出身者は複数います。直行便も飛んでおり身近な離島ではありますが、私がこの島を訪れるのは初めてのことです。

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私が想像していた北の離島というイメージとは程遠く、島の大多数を占める山林のほとんどは広葉樹で覆われていました。その手つかずの森林の木々は風が強いせいか低木が多く、マングローブのような形状をしているものも見かけることから、昨年訪れた南国の離島「西表島」と重なるものがありました。もちろん季節が違えば全く異なる印象になるのでしょうが。

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仕事はさておき、奥尻島といえばウニ、アワビ。昼食のため入った食堂では、地元函館では頼んだことがないウニ丼セットを奮発して注文。折り1枚全部入ったような量のウニ丼にイカ刺しやツブなど豪華な小鉢多数並んだそれは5500円。決して高くはないと納得したのですが、これ3日前まで3500円だったとのこと。解禁となった天然ウニの初値が昨年の倍近い値段となって、やむを得ず値上げしたそうです。何でもニセコ地域などのインバウンド需要で想定外の高値で取引されたようです。

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驚いたのは、海産物の宝庫であるはずのこの島には、取れたての鮮魚を扱う市場や、専門の土産店はありません。島民は漁師から貰えるらしいので鮮魚店は不要とのこと。島としてビジネスチャンスを逃してると思ったのは私だけでは無いはずです。この他、アワビやウニの養殖場や、新たな産業としてのワイナリーなども見学してきました。ここでは記しませんが、各々の場所で、この島の特殊な事情や風習を伺ってきました。

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奥尻島では今から31年前のこの時期、北海道南西沖地震の津波による大きな被害がありました。津波館でその時の様子を伺い知ることができたのですが、奥尻島で犠牲となったのは約200名。奥尻島にこの春から駐在した警察官が「逆にこれだけの犠牲者で治まったことに驚いている」と言っていたのに納得しました。

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最高到達点30メートルに及ぶ津波が、この島の青苗地区を襲いました。当時の写真を見ると、現在より遙かに人口が多かった(数千名?)この地区の住宅密集地が、地震発生5分後にやってきた津波で壊滅状態。にもかかわらず、この程度の犠牲者で済んだのは、この島の防災意識が極めて高かったからです。この津波の約10年前、男鹿半島沖の地震による津波がこの地区を襲っていました(死者2名)。このときの教訓から、揺れたら直ぐに高台に逃げろという意識が、全島に根付いていたということを聞きました。夜10時過ぎに襲った津波にもかかわらず、被災状況からみると、むしろ奇跡のように思えました。

残念ながら、この島には厳しい冬があり、厳冬期は飛行機も船も数日に渡って欠航することも珍しくないとのことです。通年に渡る観光需要は難しく、数年前に唯一の一定規模のホテルも閉鎖しました。わずか24時間の滞在でしたが、初めての地で、ここでは書き切れないほどの非日常を経験してきました。

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